|
メニューページ
|
 |
| |
|
 |
妙見神上陸の竹原の津跡 |
|
北辰信仰のもとになる北極星と北斗七星 |
 |
|
| |
|
 |
星座の象嵌がある四寅剣 |
|
妙見宮実紀や社記などによりますと、天武帝白凰9年(680)の秋、中国明州(寧波)から妙見神社が目深検校・手長次郎・足早三郎の三人の形と化して亀蛇の背に乗って海を渡り、八代郡土北郷八千把村竹原津に上陸し、この地に約3年間仮座したのが初りと伝えられています。またこの中国渡来説の他、妙見神は百済国聖明王の第三皇子琳聖太子であるとの百済渡来説とがありますが、いずれも「竹原ノ津」に上陸したと伝えている点は同じです。 |
| |
その後同11年(682)、益城郡小熊野村の千代松が峯に遷り鎮座しました。この跡を白木平といい、その後天平宝字2年(758)に八代郡戸北郷の横嶽ノ嶺に移り、その地に妙見上宮が創建されました。
妙見宮は北極星と北斗七星からなる星辰信仰が妙見苦薩の仏徳の中へ包摂され、妙見苦薩を本尊とする白木山神宮寺がのち天台・真言の十五坊による供僧制へと発展し、道教的作法が、のちに神道の発展に伴い神主家となり、北辰(北極星)を太一神とするものから国常立尊・天御中主神へと習合発展してきました。 |
| |
|