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中宮跡
上宮跡
 
 妙見宮は上宮、中宮、下宮の三社があります。社伝などによると妙見上宮は八代市横嶽(三室山)の海抜四百mの山頂に、延暦14年(795)桓武天皇の勅願によって社殿が創建されています。
 妙見中宮は上宮の麓、中宮川の谷の奥にあり、永暦元年(1160)3月18日、二条天皇野の勅願により肥後守平貞能朝臣が創建しました。南北十町東西一里の間、長く殺生・狩猟を禁止し、田畑四十町を寄付しました。またこの地には三重の塔がそびえる中宮山護神寺と宮寺がありました。
 妙見下宮は文治2年(1186)11月15日、後鳥羽天皇の勅願によって検校散位大江朝臣高房が八代郡太田郷赤土山の下に創建したと伝えられています。伝承にも色々と疑問がありますが、中世から近世は八代郡の領主や大名の崇敬社でした。特に中世の相良氏は崇敬が篤く祭礼や鳥居などを寄進しています。
 天正16年(1588)小西行長は八代郡を拝領、その後多くの神社・仏閣を破却したと伝えられ、妙見信仰も衰えていきます。
 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで敗れた小西の領地は加藤清正の領するところとなりました。清正没後、八代城代加藤右馬允正方は城下町の整備・球磨川の治水事業とともに妙見宮の復興にあたり、元和8年(1622)12月殿宇を創建し田畑を寄付し崇敬社としました。
 寛永9年(1632)加藤家の改易により細川忠興(三斎)が隠居として八代城に入城しました。妙見宮に参拝した忠興は伝来の四寅剣を見まして、「九曜引両之神紋社器皆是を用候間、御家之御紋と相同じきこと不思議之因縁也」と深く感じ、「社領如先規現米八石四斗七升御寄付祭礼の絶たるを継へき皆被仰出候」(綿考輯録)と言って崇敬し、寛永17年(1640)には百石の社領を寄付しました。忠興の没後、松井氏が城主格として八代城に入り、妙見宮祭礼は細川家の直祭りから松井氏代々の請祭りとなり、豪華な祭礼が行われ九州三大祭り(長崎諏訪神社・博多筥崎宮)の随一と云われるほどの盛況を呈しました。
 明治初年の神仏分離令により、白木山神宮寺を首坊とする十五の天台・真言のお寺は廃止され、以後は八代神社を改称され、今日に至っています。
 
八代神社(旧妙見下宮)
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熊本県八代市 妙見宮大祭 熊本県八代市 妙見宮大祭