| ◆墨書に見る年代
箱・部材の墨書の年代では、上屋根軒先を受ける部材(腕木)の墨書が最も古く安永5年(1776)まで遡ることができる。
関連史料からは、「八代紀行」の明和元年の条に笠鉾「猩々」 の外観について述べており、最初の製作年代は安永から更に明和元年(1764)以前まで遡ると思われる。
箱の蓋の墨書は弘化3年に六人猩々の箱を作った旨の覚書である。「六人猩々」とは、現在、下屋根の棟先端に一体ずつ乗る、計六体の小さな猩々の人形であると推定され、当時からこのような装飾をつけていたと思われる。
一方、同年代の弘化3年(1846)銘の絵巻は江戸期における笠鉾の姿をよく伝えているが、そこに描かれている笠鉾「猩々」を見る限り、「六人猩々」を思わせる装飾は見当たらない。
以上から箱の蓋の墨書の内容と現在の笠鉾「猩々」は「六人猩々」 の点で一致することから、弘化以降からこのように装飾されたものと考えられる。
◆構造
笠鉾「遅々」の基本構造は、車台(台)とその中央に直立する芯棒(柱)、その上端に載せる骨組の部分に分かれる。
芯棒(柱)は、中空の外柱とその中に入る内柱で構成され、その頂部に骨組が載り、台を除く笠鉾全体の重量を支えている。一本の「柱」により全体を支える構造は、笠鉾本来の形を踏襲したものと考えられる。
この内柱は網を巻き上げることで持ち上げられ、笠鉾全体の高さを調節することができる。高さの設定は、内柱に込み栓を通すほぞ穴が三ケ所、外柱には一ケ所あり、この組合せにより三段階に設定できる。
骨組は六角形平面で、内外に二重に柱があり、鳥籠のような形である。その底部には、六角形の対角線上に構造材を入れている。 |