| ◆墨書に見る年代
笠鉾「蜜柑」の墨書で最も古い年代は、蛇腹の賓暦3年(1753)で、「手斧立」と書いてあることからも、製作年代と考えて間違いない。
この墨書には、職人の名前も多数みえ、この中には、八代城附絵師「木公(松)島仙流」 の名前がある。彼は「絵師」として笠鉾製作に携わっている。その一方で、同年には妙見宮修復に「塗師」として参加しており、当時の支配層に仕えた職人像の一端をうかがうことができる。
◆構造
笠鉾「蜜柑」の基本構造は、車台(台)とその中央に直立する芯棒(柱)、その頂部に載せる骨組の部分に分かれる。
芯棒は、笠鉾「猩々」と同じく、中空の外柱と内柱で構成される。この内柱は、ワイヤを歯車式の巻上機で巻くことで高さを調整する。高さの設定は、内柱に込み栓を通すほぞ穴が三ケ所、外柱には一ケ所あり、この組み合せにより三段階に設定できる。
骨組は芯棒の一部と一体になっている。六角形平面で、角には内柱・中柱・外柱の三重に柱がある。更に柄の部分から上屋根を受ける隅木に向かって細い斜材が伸びており、中間で前述の三重の柱が接続している。
近年、鎖とターンバックル、下部の補強材を取り付けており、笠鉾組立後、このターンバックルを回すことで骨組が引っ張られ部材どうしが更に緊結される仕組みである。柄の部分には「昭和四十一年吉田式吊上機施工」 とあった。 |