| ◆墨書に見る年代
文書「八代紀行」、明和元年(1764)の条には、平河原町の笠鉾について次のような記述がある。
「七番 平瓦町 孔雀・・・
黒天鵡絨下り」
この記述から、平河原町の笠鉾は当時、「孔雀」であったことが分かる。屋根形状も「八角の羽下りたる笠…」とあり、弘化三年銘の絵巻や現状では、六角である。よって、弘化三年銘の絵巻や現状の笠鉾「松」とは、頂部の作り物、屋根形状等が異なっていたと考えられる。
箱・部材の墨書で最も古い年代は、上層部の部材「六歌仙」にある文化2年(1850)の墨書である。
年代は不明であるが、木箱に転用された板図が全部で八枚発見された。この内、五枚を合わせると、上層部平面と上屋根の反り・起り、わらび手を合わせた一枚の板図になった。その他、上層部断面の板図の一部、頂部の「鉢」の板図があった。後の一枚は、二本の交差する線分が書いてあるのみである。上層部の平面及び断面の板図と現状の笠鉾「松」 の形は、ほぼ一致していることから、その製作時に描かれたものと考えられる。
「鉢」の板図と現状の「鉢」を比較すると、中央の絵様が大きく異なる。現状の絵様は、「木彫の花」で、文政7年(1824)の墨書が見つかっている。よって、「鉢」 の板図は、その年代より前のものであることが分かる。平面の板図については、更に、「六歌仙」は、文化2年(1805)、製作であることから、同年のものと考えられ、現在の笠鉾の製作年代は、文化2年(1805)まで遡ることができる。
◆構造
笠鉾「松」の基本構造は、車台と中央に直立する心柱、その頂部に接続する骨組、頂部の作り物を取り付けるための「上り真木」「白木垂木」の五つで構成される。
芯柱は内柱と外柱の二重構造で、綱を巻き上げることで伸縮し、高さは、芯柱に込み栓を通すことで三段階に設定できる。
骨組は、笠鉾「恵比須」とほぼ同じだが、上屋根を受ける材「白木垂木」は、骨組の柄の部分には取り付けず、骨組中央の柄に差し込む「上り真木」 の中程の犠柄に接合する。 |