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側面
◆墨書に見る年代

 笠鉾「本蝶蕪」 は明和元年(1764) の文書「八代紀行」に、本・蝶・蕪の作り物、二段の屋根、六角の平面、台、という基本構成が正確に記述されており、「本蝶蕪」は既に明和元年に存在していたことが分かる。
 江戸時代には、1.文化6年(1809)、2.文化7年(1810)、3.文政7年(1824)、4.天保8年(1837)、5.天保8年(1837)、6.天保9年(1838)、7.嘉永2年(1849)、8.文久元年(1861)に種々の補修等が、11年〜13年程度の間隔で施されたことが窺える。
 水引の変化については、水引を収納する箱の中に「本金糸下り房附黒天鳶絨本金糸浪蝶縫水引幕」と墨書された古い包紙が残されている。昭和11年に新調された現在の水引の生地は淡いクリーム色であるが、以前のものは黒のビロード地に「本金糸」 で 「浪」 「蝶」が描かれていたと考えられる。弘化3年(1846)の松井文庫蔵絵巻の描写では、黒地に金色の線で 「浪」 「蝶」が描かれており、古い包紙の墨書の内容とよく合致する。
 下屋根押へ板六枚の内、「弐」 の墨書、「四」、「五」 の番号が部材の端で切れており、改造されたものと考えられる。このうち、「弐」 の墨書については、途中までしか読めないものの、役職名と氏名、製作者等が書かれていることが分かる。その墨書の一行目には「寛」、二行目に「元(年)」、三行目に「十(月)」とあることから、頭文字は「寛」の付く年号であると考えられる。「笠鉾」 の文字の初見は「妙見一山」より、宝永3年(1706)であるから、それ以降で頭に「寛」 のつく年号を列記すると、寛保元年(1741)、寛延元年(1748)、寛政元年(1789) の三つである。これらの年号の内、明和頃の様子を描いたと考えられる妙見祭神事行列絵巻との比較から、寛政三年である可能性が高い。いずれにしても、「本蝶蕪」 部材の墨書の中で最も古く、役職、製作者の氏名が連ねてあることからも、製作の覚書と考えられる。

◆構造

 笠鉾「本蝶蕪」 の基本構造は、笠鉾黒塗臺(台)とその中央に直立する柱、その上部の笠鉾胴柄に分かれる。
 笠鉾胴柄は、中央の柱(柄)とそこから放射状に延びる細い鉄製の斜め材及び上屋根と上層部の骨組を形作る細い木製の部材で構成され、その平面は六角形である。
 この部分が台中央の柱の上端に取り付けられる。これに屋根・梅之間・青貝伊達板などの装飾とさらに水引幕が取り付けられ、その荷重を一本の柱で支えている。
 さらに笠鉾胴柄には、その中心に鉄製心棒という金属の細長い棒が入り、中の滑車と紐の巻き上げにより、本の字と蝶の作り物を上下させる仕掛けがある。
 台中央の柱は、中空の柱と芯となる柱の二本で構成され、中に通されたワイヤを巻き上げることで芯となる柱が持ち上がり、笠鉾の高さを調整する。笠鉾の高さは、台に設けられた歯車式の巻上機器で無段階に設定することができる。

 
熊本県八代市 妙見宮大祭 熊本県八代市 妙見宮大祭