| ◆墨書に見る年代
墨書では八笠鉾道具入が最も古く天明6年(1786)である。文書、「八代紀行」では更に遡り、更砂天井には文化13年(1816)の年代が記されているが、筆致は墨書の毛筆と異なり、年代に比べ新しい印象を受けることから、墨書を書き写したものと思われる。
明和元年(1764) の条に
「八番 塩屋町 迦陵頻、下ハ六角ノ笠四段形、純子下り」とある。同じ明和の頃を描いたと考えられる古絵巻の「迦陵頻伽」 の笠(屋根)は三段であるが、最下段の屋根をみると、それとは別に庇のようなものが描かれている。
一方、弘化3年(1864)銘の絵巻では、六角の屋根三段に描かれ、現状では、八角の屋根三段である。
以上から、明和、弘化、現代に至る間に、屋根形状は、六角四段、六角三段、八角三段へと変遷したのではないかと考えられる。
◆構造
笠鉾「迦陵頻伽」の基本構造は、車台(台)とその中央に直立する一本の柱(芯柱)と、その上端に取り付けられる骨(骨組)の三つで構成されている。
芯柱は内柱・外柱の二重構造で、綱を巻き上げることで伸縮し、芯柱に込み栓を通すことで高さを三段階に設定できる。
上、中、下、三段の屋根をもつことから、上下二段の屋根のついた他の笠鉾とは、外観上かなり異なる。しかし、骨組は、大半の笠鉾と同様に鳥籠のような形態である。 |