Q,九州三大祭を妙見祭、長崎諏訪神社祭り、箱崎放生祭としていますが、何か根拠がありますか?
妙見祭、唐津おくんち祭、長崎諏訪神社祭、と言う説もありますし、阿蘇神社の火祭りとか、人吉葵神社の祭りとか、宇佐神宮の祭りとか、藤崎宮大祭等大きい祭りはたくさんありますが?

A, 三大祭りとしては、長崎くんち・箱崎宮放生会・妙見祭で間違いありません。ただし、根拠としては大正時代の新聞にそう書かれているというだけで、どういう基準で選ばれたのかまではよく分かりません。ひとつ共通するのは、どの祭りも歴史的に【由緒ある神幸行列】が行われているという点のようです。
 確かに、現代の観点からすれば妙見祭より規模の大きな祭りがありますので、「どうして妙見祭が」という疑問を持つ人も多いのですが、昔の新聞記者の目から見ると、そういう印象を受けたのだと思います。
 いずれにしても、昔からの言い伝えのようなものですので、現在の基準で自由に入れ替えたりできるような問題ではないようです。
Q,菊慈童だけほかの笠鉾と離れているのはなぜか?順番は決まっているのか?

A, 菊慈童は、謡曲(ようきょく)菊慈童(きくじどう)からとったものであり、菊慈童は中国の古書に見える仙人で仙薬(せんやく)「菊水(きくすい)」を飲んで齢(よわい)700才となっても、なお子供の如き姿をして若々しいことを祝ったもので、妙見の神徳(しんとく)、不老長寿(ふろうちょうじゅ)、寿福(じゅふく)、家門繁栄(かもんはんえい)、商売繁盛を祝うものです。
 神幸行列では笠鉾9基の内、独り離れて先頭に立ち、どんな雨降りでもこの宮之町の笠鉾「菊慈童(きくじどう)」だけは行列に加わるという古例に従っているのは、町の成立に基図していると云われています。
 豊臣秀吉(とよとみひでよし)の天下統一の後、小西行長(こにしゆきなが)が水運(すいうん)・貿易の拠点であった八代の地・麦島に九州で1番古い平城の麦島城を築城した時、もと宮地妙見宮の門前町(もんぜんちょう)のうち48戸割(こわり)を移して宮之町と称し、江戸時代になり八代城下に移ってからも引き続き宮之町と称して古例を守ってきました。また、町内には妙見宮の分社(ぶんしゃ)を奉じています。
 ちなみに砥崎の河原での紹介については、ほかの復元団体の紹介の都合もあり、笠鉾2番本蝶蕪(ほんちょうかぶ)〜笠鉾9番迦陵頻伽(かりょうびんが)を先に紹介しています。

Q,天狗の先頭の決め方は?

A, 赤・青・黒の三体のお面は、火の王(おおきみ)・水の王(おおきみ)・風の王(おおきみ)とよばれます。
 この三つのお面は神のお告げによって並ぶ順番が決まり、来年1年間がどのような天侯の年になるかを占います。
 赤い火の王が一番前だったら来年は晴天の多い年、青い水の王だったら雨の多い年、そして黒い風の王だったら風の多い年になるといわれています。
 順番は神幸行列(しんこうぎょうれつ)のお下り(おくだり)が行われる11月22日に神前において、くじ引きされ決定されているようです。
 くじ引きの方法などの詳細については、八代神社(32−5350)へお問い合せ下さい。

Q,学術的に「なまず伝承・なまず絵馬」等を調べております。この度、インターネット上に「妙見信仰では、なまずを神聖なものとして崇め、なまずを食べない」という記述を見つけました。それ故、八代妙見宮では、このような信仰はあるのでしょうか。
A,八代の妙見信仰には、そのような話は伝わっていないようです。